顧客0、経験0から始めたシータヒーリング・サロン開業ものがたり

シータヒーリングに興味はあるけど「学ぶと何が変わるのか?」

 

シータヒーリングがよく分からない方もいらっしゃると思いますので、参考になれば、と私の実際の経験を書いてみました。

 

東京の目黒にてシータヒーリングのインストラクターをしています長谷川暢子です。

 

顧客0、経験0からシータヒーリングヒーリングサロンを開業し、10年目を迎えました。

 

それまで、埼玉県の家賃34,000円の長屋暮らしをしていた私が

 

どうやって突然顧客0、経験0の状態から東京目黒でシータヒーリングサロンを開業し、そして成功できたのか、

 

シータヒーリングを学んで人生を変えた経験についてお話ししたいと思います。

 

はじめに

私は子供のころから「スピリチュアルな事をすると、親から認めてもらえない。」

「自分に自信がない。」とずっと思っていました。

 

そんな私がスピリチュアルを学び始めたのは19歳で大学入学を機に実家を離れ、「親からの目線を意識しなくていい」とやっと思えた、36歳を過ぎてからでした。

 

 

それまでの私は、「自分が本当に何をしたいのか分からない。」と、職を転々としていました。

 

 

やっと興味があると思えたお仕事についても子供のころから身体が弱くて忙しい仕事は続けられない。

 

結婚生活も上手くいっておらず、いつも「何か」を求めていて、インドに1年間、放浪の旅にでかけたりしていました。

 

「何故インドへ旅にでたのか?」とよく聞かれるのですが

当時流行っていたインド映画、『踊るマハラジャ』を観て「インドって楽しそうだな!」と思ったことがきっかけでした。

インド映画、踊るマハラジャのビジュアルがまた素敵で♪

 

「暗くて貧しくて大変そう、と思っていたインドがこんなに楽しそうな国だったんだ!」と休暇を利用して1週間の旅に出かけたのです。

 

インドに地に降り立った瞬間、「ここ、私の国だわ~!」としっくり来てしまい、そして「インドは1週間ではもったいない!3か月は滞在しないとな。」と、当時勤めていた会社を退職。

インドへと旅立ったのでした。

 

今思うと、私がやりたい事をやりたいようにさせてくれた、とても優しい旦那さんでした。サロンオープンの時には壁を一緒に塗ってくれたりと、今でも仲良くしています。(*^-^*)

 

 

 

インドバックパッカー時代の様子はこちらからどうぞ

私の起業ものがたり~インドバックパッカーから長屋暮らし時代

 

 

当時を振り返ってみると「今の人生に心が満足していない」

「何かを探している」けど答えが見つからない状態でした。

 

インドで1年滞在して思ったのは、答えは自分の内にしかないということ。

そして、インドという日本とは全く異なる価値観で、自分のアイデンティティが一度崩壊しました。

 

自分の常識が全く通用しない。

そんな場所で1年間やっていくのは、自分の枠を広げる最高の環境でした。

 

インドでは、サドゥーといって修行者がとても大切にされています。

片手を一生上げて生活する人。

ミルクしか飲まないで生きている人。

死人の肉を食べて修行する人・・・。😨

 

死体が火で多比に付され、ガンジス河で祈りを捧げる。

そんな光景が日常だったインドでの生活は、死が身近にあって不思議と癒されていました。

いつ見ても幻想的なガンジス河のガート

 

インドでは、私と同じように一人旅をしているバックパッカーが多く、私はタブラという楽器を習ったりインド舞踊を習ったりと

終わらない夏休みのように最高に楽しい1年間でした。

 

そんなインドから帰国後、今度は日本に馴染めなくなってしまい、魂が抜けたようになってしまいました。

 

元々インドへ行く前から感じていた旦那さんとのパートナーシップに対する違和感にどう対処したらいいか分からなくなり、そのまま離婚することに。

 

お金がない私は長屋暮らしを始めたのでした。

シータヒーリングと出会った当初、住んでいた長屋。甥っ子が遊びに来てくれた時の写真。

 

インドに1年もいたせいか日本社会に以前のようにはなじめず、満員電車に乗るのが苦痛だった私は自宅から自転車で3分の会社に勤め始めました。

 

時間が有り余っていたので、この時やっとスピリチュアルを学ぶ決意ができたのです。

 

その当時、マイクロソフトの子会社に勤めていた私は時間が有り余っており「これは神様が私に何かをしなさいというサインなのかもしれないな。」と思い始めました。

 

ずっと「スピリチュアルな事をすると親から認めてもらえない。」と思っていた私でしたが、名古屋にいる両親は自分が何をしていても分からないと思いました。

まず始めたのはレイキヒーリングでした。

自分がエネルギーに敏感だとは思ってもいなかったし、まして自分の手からエネルギーが出るなんて思いもよらない。

 

そんな状態で始めたのに、エネルギーを感じたような気がしたのです。

ずっと子供のころから抑えていたスピリチュアルに対する欲求がレイキを学んだことがきっかけで止まらなくなり、そこからスピリチュアルなアロマを学び始めました

 

シータヒーリングとの出会い

 

スピリチュアルなアロマを学んでいくうちに「シータヒーリングっていう、すごいのがあるよ!」とアロマ仲間から言われました。

 

その時はそうなんだ、とスルーしてましたが、またアロマ仲間から「シータヒーリングってすごいのがあるよ!」と言われ、これはもう宇宙からのメッセージだな、と素直にシータヒーリング基礎DNAを受講しようと決めました。

 

ずっと憧れていたスピリチュアルカウンセリングができるようになるんだ!」

とワクワクする一方

 

「スピリチュアルカウンセリングなんて、私に出来るわけない。」

 

というネガティブな気持ちも沸いてきて、シータヒーリングセミナー初日は緊張で足がガクガク震えていたのを今でもよく覚えています。

 

シータヒーリングセミナーが始まると、「あれ、私もしかして出来ているのかな?!」という、不思議な体験をたくさんしました。

 

今までずっと「自分にはできない。」「無理だ。」

「自信がない。」と思っていたのに、そんな自分がちゃんとワーク出来ている!

 

潜在能力を高めるシータ波になれたことと、

シータヒーリングセミナーの中での無茶ぶり(笑)をこなしていくうちに「出来ている自分」に気付き始めました。

 

「そうか、今までの現実は自分の思い込みが創っていたのだ!」

と、私はこの時やっと気が付いたのでした。

 

 

創造主と繋がることで脳波を30秒以内にシータ波に変えるというシータヒーリング独自のテクニックは、聖書をよく読んでいて神が恐れ多い存在だった私にとって衝撃的でした。

 

自分が創造主とお話ししたり、創造のエネルギーを使えるようになるなんて思ってもいなかったです。

 

小さい頃からずっと神様、創造主に憧れていた私のとってシータ波になるプロセスそのものが、何物にも代えがたい財産となったのです。

 

 

シータヒーリングで創造主と繋がる瞬間、私はものすごい安心感・幸福感に包まれていました。

 

 

私という人間は神様が創造したものだと、聖書で読んだ事はあるけれど、シータヒーリングで神様と1つになる事を経験したことで私の中で

 

「創造主のように、自分の人生を自由にクリエイトしていけるんだ。」ということが、言葉ではなく、体験と共に府に落ちました。

人生でやっと「私は私のままでいていいんだ!」と思えたのです。

 

 

シータヒーリング基礎セミナーで学んだテクニックで他の人の悩みを開放して、人生を変えてしまう事を学び、目の前の人が、自分のセッションによって癒されていく様を観ていくのは

 

自分にとっての癒しであり、人が変化する場に立ち会える事に感動しました。

 

「ずっと自分に自信がなかった私でも、人の役に立てるんだ!」と、とてもうれしくなりました。

 

 

シータヒーリングには人の人生を素晴らしい方向に変えてしまう力がある事に気づきずっと探していた「何か」が見つかった気持ちになりました。

 

 

セミナー後も、シータヒーリングのテクニックを使って私は自分の思い込みを1つ1つ、手放していったのです。

 

 

そして、「これを人にやってあげたい!」という想いが日ごとに強まっていったのです。

 

ゼロからのシータヒーリング・ヒーリングサロンオープン

 

シータヒーリング基礎・応用、アバンダンス豊かさという3つのセミナーを受講しただけでしたが、ヒーリングサロンをオープンすることを決意して、まずは物件探しからスタートしました。

 

物件探しもシータヒーリングを使って現実創造しようと決めていたので条件を5つ書き出しました。

 

その時の条件がこちら。

 

  1. 目黒駅から徒歩5分以内
  2. 道順は、お客様が来やすいように分かりやすく
  3. 1階庭付き
  4. サロンをやるスペースが確保できて
  5. 出会ったら、そこが私の場所であると、はっきりわかること。

 

目黒の不動産屋さんを訪ねるも「目黒でその予算では無理。」と冷たく言い放たれてしまいました。

 

でも、現実は自分で創造する、と脳の回路が入れ替わっていた私は「きっと見つかるはず。」と信じ続けて探し始めて3週間後に理想通りの物件と出会ったのです。

 

 

「ああ、やっぱり現実は自分で創造しているんだな。」と、一緒に見つけてくれた母と大喜びしながら思いました。

 

サロンは自然が調和していて、来てくれるだけで人が癒されるような空間にしよう。

 

と、お金はなかったけど時間はあった私は自分で漆喰を塗ったり、無垢材を床にひいて自分でペイントしたりとサロンオープンに向けて準備を着々と進めていったのでした。

サロンの床を白でオイル塗装。今年塗り直しました。

 

 

HPも自作。

 

「何でも自分で創造できる。」と思えるようになった私は「できない事なんて、何もない。」と今までの私とはすっかり別人のように前向きに取り組み始めました。

 

19,800円でHP自作ソフトを購入しITスキルは皆無でしたが、ペラ1枚から始めて徐々に写真を入れたりと一から自分でサイトを創り上げていきました。

 

上手くいく未来しか描いていない私はサロンオープンに向かって邁進していったのでした。

 

 

2010年3月30日のフルムーンの満月の日にオープンして、セッションスタート。

 

オープンしてから3か月後にはOL時代のお給料を抜いて、その後も売上は毎月上がり続けました。

 

 

シータヒーリング・インストラクターへの道のり

 

シータヒーリング・サロンオープンした次の月、4月にインストラクターセミナーがある事を情報として知ってはいました。

 

でも、「開業して間もない私にはまだまだ。」そう思い込んでたのに、宇宙からのメッセージはずっとスピーディーでした。

 

掘り下げが上手だった私はセッションするたびに「これ、自分でできたら素敵ですね!」「教えてください。」と言われるようになったのです。

 

「あ、これは宇宙からのメッセージだな!」

 

と、慌ててシータヒーリング・インストラクターセミナーに申し込んだもののキャンセル待ちが100人以上いて無理でした。

 

結局、そこから1年待ってやっとシータヒーリング・インストラクターになる事ができました。

 

その時はまだ、自分の時間軸で考える癖が抜けていませんでした。

 

でも、起こったことは最高最善。

 

 

1年後の2011年、3.11の東日本大震災直後のインストラクターセミナーではシータヒーリング創始者のヴァイアナさんが大変な時期ながら日本に来日してくださり、涙ながらに日本のためにお祈りしてくれました。

 

それを一緒にお祈りする私たちの眼にも涙。

 

感動的なセミナーを終えて、晴れてインストラクターデビューを果たすことになりました。

 

1年間ずっと待っていてくださったクライアントさんのお陰で1回目のセミナーから満席でした。

 

 

■どれぐらいの人数でやると受講生さんは快適なのか?

■話すスピードはどれぐらいが聞き取りやすいのか?

 

初回は全く余裕もなく、受講生さんからのフィードバックを元に毎回改善していくしかありません。

 

最初から完璧にはできませんでした。

 

でも、ありがたいことに「こうした方がいいですよ。」と受講生さんが必要なタイミングでアドバイスくださり、気が付いたら教えることを自信を持って楽しめるようになっていました。

 

順調なサロン人生から一転

 

オープンしてから毎月売り上げが上がり続ける。

 

そんな、順調なサロン人生を送っていた私でしたがある日、お腹が痛くなって産婦人科にいくことに。

 

 

「出血してるから、検査ができません。痛み止め渡しておくから、出血止まったらまた来てください。」

 

と言われて、痛み止めでお腹の痛みを誤魔化しながらお仕事していました。

 

 

まっすぐ歩けない程フラフラになっているのにお客様が来てくれるとシャキッと仕事できてしまう。

 

 

他人が同じことをしていたら絶対止めるのに、自分はサロンにお客様が来てくれる事がうれしくて仕事を休むことができませんでした。

 

 

そんなある日、激痛と自分の叫び声で目が覚めます。

 

叫び続けていないと、耐えられないような痛みで身体を動かすこともできなくなってしまい、手元にあった携帯で救急車を呼びました。

 

 

病院に運ばれた私は、このままだと命にも関わる状態だとのことで、その日の内に緊急手術する事になり

結果は子宮内膜症でした。

 

 

「子宮を摘出しないといけないかもしれません。」

と手術前に言われた私は、妊娠するつもりがなかったのに涙が溢れてきました。

 

 

手術後、目を覚ますと「子宮は摘出しなくてよかったけれど片方の卵巣と卵管を摘出しました。」と言われ

 

子宮は残されたから、難しいかもしれないけど妊娠が不可能な身体ではないんだ。

 

とホッとしたら、安心して今度はうれし涙が出てきました。

 

 

それから私は子宮内膜症に関わる思い込みを手放すことを決めました。

 

シータヒーリングでは、病気はその人の考え方、思い込みから成り立つと考えられています。

 

子宮内膜症は

女性性、例えば

 

「自分が女性として愛されること」

「人から大切にされること」

がわかっていないサインかもしれません。

 

 

私はずばり、この思い込みだったと思います。

 

 

離婚を経験して自分は女性として愛されることは難しいのではないかと思い、自分が本当に好きなスピリチュアルな事をすると「親から理解されない」のではないかと思っていた私は

仕事に邁進することで自分の価値を見出していたのだ。」とやっと気づきました。

 

 

「自分を大切にすること。」
「女性として愛される事。」

をシータヒーリングを使って自分の潜在意識に教えました。

 

 

そのお陰で経過はお医者様もビックリするほど順調で退院後の検査では「卵がいい状態で、望めばすぐに妊娠できますよ。」と言ってもらえる程になりました。

 

 

そんな風に、私は一見ネガティブな事が起こっても

 

宇宙から与えられたメッセージであり、自分の思い込みを変えることで、現実を変えることができる。

 

ということを、シータヒーリングのお陰で学び、身をもって体験していくことで、ピンチをチャンスに変えるメンタルを手に入れていったのでした。

 

 

その後は受講生さんのリクエストにお応えする形で、毎年アメリカまで『直感解剖学アナトミー』や『病気と障害』『DNA3』のインストラクター資格を取りに通いました。

 

 

遂にサイエンスという一番上の資格をアメリカで取得できるまでになった時、「昔のサイエンスの盾には魔法のランプが描かれていたんだよ。」と聞いたことがあります。

 

 

まさに、シータヒーリングは魔法のランプ。

自分が望みさえすれば、それを叶えてくれる。

 

一生役に立つスキルを皆に教えてあげよう!

 

病気をきっかけに、さらに私はシータヒーリングにのめり込んでいったのでした。

ドバイ土産にお友達からもらったランプ。引寄せました🤗

まとめ

 

私は子供のころから「人と違ってる自分」に自信が持てず、ずっと自信がない、できない、無理、を繰り返していました。

 

プライベートも仕事も上手くいかない。
身体も弱い。お金もない。

 

そんな状態でしたが、シータヒーリングとの出会いを通して

 

人生は自分で創造できること。

誰にでも無限の可能性があること。

あとはただ、選択するだけであること。

 

を身をもって体験してきました。

 

シータヒーリングを学ぶ前の10年前の私は今の私に起こった変化を全く想像できてませんでした。

 

サロンオープンから10年、夢中で仕事してきたので振り返ってみると色々あったけど楽しくて一瞬でした。

 

長年サロンをやっていると、「10年もやってるんだったら、そんな低額のセミナーはやめて、もっと高額のを教えたら?」と言われる事もたびたびあります。

 

でも私は「神様がお客様を私のところに連れてきてくれている。」

 

と信じているので、求められる限り教え続けていきたい、と思っています。

 

 

セミナー初日に足をガクガク震わせていた私が「私には何でも可能で、きっとできる!」と自分を信頼できるようになった

この、魔法のランプを一人でも多くの人に手渡せたら、と思うからです。

 

これからもシータヒーリングで人生を変え続けていきたいと思っています。

 

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

シータヒーリングについてもっと詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

 

長谷川暢子公式サイト・ルブランのHP

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